3日目の流れ |
ストーリー筆者 つきちゃん/岐阜県関市
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3日目の朝、モーニングプラクティスをする人、自分の時間を過ごす人、それぞれが自分の時間を過ごしてから、大きなサークルに再び集まった。クリスの「今日はグローンゾーンに入り、人によっては意味をなさなくなると感じる時が来るかもしれない。でもそれは学びが訪れるサインでもある。」という話を受け、どんな事が起こっても、それは学びに繋がるんだと受け入れる準備ができた気がした。
この日のチェックインは、<静かに歩いて、パートナーと話す>。①他の人がホストしていて、良くホストしてもらえたと思った体験 ②自分がホストしていて、良くホストできたと思った体験 ③自分がホストしていて、うまくホストできなかったと思った体験についてと3回パートナーを変えて振り返り話をした。自然と自分自身に目を向ける準備が整っていった。 自分自身をホストするってどういう事だろう? それをみんなで考えたあとは、<ソロウォーク>の時間。これは、自分自身の中の知恵や好奇心、慈愛の心に深く耳を傾ける時間。必ずしも解決策を持って帰ってくる必要はなく、解決策を考える余白を作る時間だと教えてくれた。それぞれが20分間、自分自身の声と向き合うために時間を使った。外に出る人もいれば、部屋の中にいる人もいた。 みんなが帰ってきたら、対話の基本的な形の1つ<サークル>で振り返る時間。ホスティング・チャンスを取った14人の参加者が、小さなサークルのホスト(問いを投げたり、話し合いのサポートをする人) と、ガーディアン(時間を守り、スペースを支える人)となり、7つのサークルをホールドし、これまでの時間をどのように過ごしてきたかを共有した。その後大きなサークルに戻り、それぞれの立場で感じたことを全体で共有し、午前中のトレーニングは終了。 昼食のあとは、<複雑性と生き物について>の理論を学んだ。まずは日食ゲームを通して体験。それぞれ自分は地球となり、参加者の中から月と太陽を選ぶ。太陽に選んだ人と自分の間に月に選んだ人が入って、日食の状態を全員つくるというゲーム。やってみた結果は、壁際に人がごった返し、どうしようもない状況となった。ごった返した中から1人だけ動かしてみて、再びゲームを始めるが、しばらく続けると、その人はまた壁際に戻っていた。一部の人は苛立ちを感じていたが、多くの人はこの現象を楽しんでいた。 私も楽しんでいたけど、楽しいからこそ、解決しようとしてそうでしていない現象って、たくさんあるのかもしれないとも思った。 これが何を意味しているのか?一つには「パターンを変えないと問題は解決しない」ということだった。もぐら叩きに例えると、出てきたもぐら(問題)を叩く(動いて解決する)のではなく、そのもぐらが出てくる仕組み(パターン)を変えないと、もぐら(問題)はいつまでも出てくるばかりで、問題解決には至らない。この、パターンを変えないと変わらない問題のことを「無限ゲーム」と呼んでいた。そして私たちは無限ゲームの中で暮らしているのだと。日食ゲームも無限ゲームであり、それを楽しんでいる人が多かったということは、本来、複雑性の中にいることは楽しいはずだということを教えてくれた。 3日目最後のプログラムは<オープンスペーステクノロジー (OST)>。私たちは2本足の自由があることと、4つの当たり前が説明された。貢献してるか?学んでいるか?を感じながら時間を過ごすこと、すべて起こるべくして起こることなど確認した後、テーマ出し の時間では続々と呼びかけが行われ、その中の一つには、今回のArt of Hostingの大きな呼びかけ だった「違いを大切にするつながりが社会に広がったら 私たちは何をしたくなっちゃうだろうか?」も入っていた。 起こるべくして起こる約2時間、それぞれが貢献できる形で貢献し、学び合っていた。 私はちょうちょになってフワフワしてた。その在り方を選ぶ人は他にいなかった気がしたけど、それでいいのだと思えたのは、この2.5日でホストマイセルフができていたからなのかな?私の在り方が、知らないうちに誰かに影響を与えていたんだとわかった時は、なんだか嬉しかった。OSTで呼びかけ人になった方々の学びは1つずつ紙にまとめられ、張り出す形で全体に共有された。 この日のチェックアウトは、ホスティングチャンスを取った参加者によって行われた。今の気持ちをオノマトペとジェスチャーで1人ずつ表現して幕を閉じた。こういうのはちょっと苦手で、みんな何て言うんだろうとか気にして、上手く表現しないととか思ってしまうのだけど、きっと思った通りにそのまま表現すればいいんだよね、と思ったりした。言語ってなんだろうか?? 3日目の夜は、お楽しみがあった。「クリスバー」だ。楽器を持ち寄り、その場にいる皆で楽しんだ。持参したギター・ウクレレ・ピアノで演奏する人もいれば、この3日間で鼻笛を習得して演奏する人もいれば、歌を歌って参加する人、手拍子で盛り上げる人、 絵を描いたり写真撮って記録を残す人など、様々な形でその場に貢献していた。 昨日の即興劇に続き、平凡でいること・飾らないでいることで、場に貢献できることがあるんだなぁ、貢献する形っていろいろでいいんだなぁと思った。私にとって、この仲間で過ごす最後の夜は、楽しくも名残惜しい、もっと共に過ごして学びたいと思う時間だった。(クリス・バーが終わっても、286部屋では何人か語り合っていて、それもまた気づきの連続で、とても有意義な時間だった。) |