帰路に着いた参加者のハーベスト |
だから浮かんできた問いは大切にしなければいけない。
「何を悟るのか」は、自分の奥の方ではわかっているが、自覚としては、まだ上ってきていない。だけど「問い」というサインとして現れてきている。ゆりえさん流にいえば、それは欠乏として感じられた瞬間であり、可能性が開かれた瞬間でもある、といえるだろう。
そして、そういう意味で、未来は今の私たちにもう流れ込んできているのである。
そこで、未来をしっかりつかむためには、浮かんできた問いを深く埋め込む時間を持たなければならない。ソロウォークなんかは、そのための時間でもあったのかな、と個人的には思う。
四六時中、問いについて考えているわけにはいかないけれど、埋め込みをしっかりしていれば、やがて「あ、自分はこのことに気づくために、あの問いを抱いたのか」とつながる瞬間は必ず訪れるだろう。ある意味、飛躍した答えが見つかる体験として。
そこで、お呼びかけにあった「自信を持つ」べき対象は、「自分の選択」とか「自分が目指す未来」とかではなく、「自分の問い」であるのだ、ということにも気づく。「こんなこと気になってるのは自分だけなんじゃないだろうか」「もしかして、私って異端?」とか思うのではなく、自分の問いに自信を持つことが未来につながっていく。
未来の自分が何を悟るのかを、今の自分は知っている。
そういう意味で、未来は今の私たちにもう流れ込んできている。
その流れ込んできた“もの”を自分の中で膨らませ、広げることが、「未来をつくる」ということである。言い換えると、未来は「降ろして広げる」ものである、という感覚が、今、自分には一番しっくりくるかもしれない。
そこで気づくのは、「未来をつくる」は、実はトリッキーでミスリーディングな表現かもしれないな、ということ。「未来をつくる」と言うから、私たちは、「物を増やす」という形で解決しようとしたがってしまうのではないか。
未来を(一緒に)見る、行く、分かち合う……。
別の言い方を主流にしていくことで、人々の感じ方を変えていくことが大事かもしれない。AoH的には、「(未来を)育てる」とかが好みっぽいかな?? 種は自分の中にあるのであって。
つまり、「未来」に関するコロケーション(定型的言い回し)を用いる際、「ないものをつくろう」と感じさせる言葉よりも、「あるもので豊かになろう」と感じさせる言葉を広げていくことで、世の中の空気を変えていく、ということが大事なんじゃないだろうか。
と、気付いてみると、「未来をつくる」は、ちょっと疲れる言い方だということもわかる。あくせくと追い立てられ、「遅れ」を許さない感じがする。
「足るを知る」も、なんだか説教くさい。それに、我慢を強いる響きがあって、自戒としてはいいけれど、人に差し上げる言葉としては押しつけがましい。AoH的に言うと、Host Yourselfのhostの仕方を俺が教えてやる、という感じが漂うのかな??
「あるもので豊かになる」ことが、未来を迎える生き方なんだ、という感覚を広げていく。そのための言葉を見つけ、広げていく必要があるだろう。
(かんざき)
「何を悟るのか」は、自分の奥の方ではわかっているが、自覚としては、まだ上ってきていない。だけど「問い」というサインとして現れてきている。ゆりえさん流にいえば、それは欠乏として感じられた瞬間であり、可能性が開かれた瞬間でもある、といえるだろう。
そして、そういう意味で、未来は今の私たちにもう流れ込んできているのである。
そこで、未来をしっかりつかむためには、浮かんできた問いを深く埋め込む時間を持たなければならない。ソロウォークなんかは、そのための時間でもあったのかな、と個人的には思う。
四六時中、問いについて考えているわけにはいかないけれど、埋め込みをしっかりしていれば、やがて「あ、自分はこのことに気づくために、あの問いを抱いたのか」とつながる瞬間は必ず訪れるだろう。ある意味、飛躍した答えが見つかる体験として。
そこで、お呼びかけにあった「自信を持つ」べき対象は、「自分の選択」とか「自分が目指す未来」とかではなく、「自分の問い」であるのだ、ということにも気づく。「こんなこと気になってるのは自分だけなんじゃないだろうか」「もしかして、私って異端?」とか思うのではなく、自分の問いに自信を持つことが未来につながっていく。
未来の自分が何を悟るのかを、今の自分は知っている。
そういう意味で、未来は今の私たちにもう流れ込んできている。
その流れ込んできた“もの”を自分の中で膨らませ、広げることが、「未来をつくる」ということである。言い換えると、未来は「降ろして広げる」ものである、という感覚が、今、自分には一番しっくりくるかもしれない。
そこで気づくのは、「未来をつくる」は、実はトリッキーでミスリーディングな表現かもしれないな、ということ。「未来をつくる」と言うから、私たちは、「物を増やす」という形で解決しようとしたがってしまうのではないか。
未来を(一緒に)見る、行く、分かち合う……。
別の言い方を主流にしていくことで、人々の感じ方を変えていくことが大事かもしれない。AoH的には、「(未来を)育てる」とかが好みっぽいかな?? 種は自分の中にあるのであって。
つまり、「未来」に関するコロケーション(定型的言い回し)を用いる際、「ないものをつくろう」と感じさせる言葉よりも、「あるもので豊かになろう」と感じさせる言葉を広げていくことで、世の中の空気を変えていく、ということが大事なんじゃないだろうか。
と、気付いてみると、「未来をつくる」は、ちょっと疲れる言い方だということもわかる。あくせくと追い立てられ、「遅れ」を許さない感じがする。
「足るを知る」も、なんだか説教くさい。それに、我慢を強いる響きがあって、自戒としてはいいけれど、人に差し上げる言葉としては押しつけがましい。AoH的に言うと、Host Yourselfのhostの仕方を俺が教えてやる、という感じが漂うのかな??
「あるもので豊かになる」ことが、未来を迎える生き方なんだ、という感覚を広げていく。そのための言葉を見つけ、広げていく必要があるだろう。
(かんざき)
Art of Hostingに参加しました。たくさん出会って、話して、感じました。すべてを言葉にすることはムリだから、ほんの少しだけ書こうと思います。でも長くなってしまいました💦
AoHが終わって、日常に戻って2日。 AoHの中にいる時は、こんなステキな場所から日常に戻ったら……なんて考えていましたが、参加する前よりなんだか、肩の力がぬけて、心が暖かくなった気がします。 私の収穫 ✿びしょびしょおじさん やろう!とする人の種火を消そうとする人。AoHに参加するまで、伝えたい人に自分の思いが伝わらなくてイライラしたり、プレッシャーを感じたりしてましたが、この考え方を聞かせていただいて、「びしょびしょおじさんだから仕方ない」と楽になりました。そして、次の一歩を考えています! |
✿この人だから話せる この人に話したい
今まで「よりたくさんの人と」「全員にシェア」と思ってきた私が、初めて感じたことです。私の場合、「この人!」となった理由も分からないです。でもこの人しか考えられなかったんです。とっても大切な体験です。ありがとうございました!
✿分からないことの答えを一緒に探す
私が言っていただいて、本当に嬉しかったことです。そして、いつか私も!
この三つは、たくさんの収穫のほんの一部ですが、私にとってとても大きな収穫です!
そしてなにより!かけがえのない出会い、瞬間がたくさんです。四日目のチェックアウトの後、たくさんの人と話させていただきました。いろんな思いや感謝、そして次に会う約束をしようと思って。でも涙が止まらなくて…伝わったかどうかわかりませんが、今思えば、あの涙が私の伝えたかったすべてかも。
また会いたい人がいっぱいです!そしてやりたいこともいっぱいです!たくさん感じて、考えて、実行して。たくさんのお土産を持って。
絶対にまた会えると思うから。
いってきます!
(ゆりこ)
今まで「よりたくさんの人と」「全員にシェア」と思ってきた私が、初めて感じたことです。私の場合、「この人!」となった理由も分からないです。でもこの人しか考えられなかったんです。とっても大切な体験です。ありがとうございました!
✿分からないことの答えを一緒に探す
私が言っていただいて、本当に嬉しかったことです。そして、いつか私も!
この三つは、たくさんの収穫のほんの一部ですが、私にとってとても大きな収穫です!
そしてなにより!かけがえのない出会い、瞬間がたくさんです。四日目のチェックアウトの後、たくさんの人と話させていただきました。いろんな思いや感謝、そして次に会う約束をしようと思って。でも涙が止まらなくて…伝わったかどうかわかりませんが、今思えば、あの涙が私の伝えたかったすべてかも。
また会いたい人がいっぱいです!そしてやりたいこともいっぱいです!たくさん感じて、考えて、実行して。たくさんのお土産を持って。
絶対にまた会えると思うから。
いってきます!
(ゆりこ)
Art of Hosting 牧之原 に行ってきました。
読み返してから参加すれば良かったなあ、というfacebookに書いたものを以下に転載します。 ・焼津で行われた「Art of Hosting & Harvesting を学んでみようの会」の後で書いたもの↓ 「ホストユアセルフができていない、というか、自分は自分に何をして欲しいか、というか、「やりたい」を消し続ける生き方だったなあ、と今更思うわけです。 何となく、抑圧という言葉を思い出しました。抑圧していないつもりだったけどなあ。 ということで、個人的には今日は「世界地図」を貰ったんだと捉えています。機会があれば、もっと学びたいと思いました。」 |
・Art of Hosting 牧之原2018に参加すること決めたときに書いたもの↓
「ここ最近の自分のテーマは「人間の復活」。どこかで薄くなった、人間としての「やりたい」を復活させる。そして「自分のやりたい」と「誰かの役に立つ」の統合。
さて、長くなってきましたが、私が信じているのはどちらかというと「テクノロジー」より「人間の心」。「テクノロジー」は「人間の心」を変えられるものだと思っています。
どうなるかはわかりませんが、「Art of Hosting 牧之原」は、何かが起こる場所になるだろう、と感じています。」
読み返していませんでしたが、結局こんな感じのことを考えていましたね。
せっかくなんで、ソロウォーク(内省の時間)に考えていたことについて。
自分は小学校ぐらいのときから人と変わっていて、叱られたり注意されたりすることもあり「早く人間になりたい!」と思っていて、大人になってようやく人間になって(楽になった)と思っていたけれども、これは人間ではなくて実は機械だった。
機械のように与えられた仕事をキチキチこなす感じの。
人間が機械になるのは無理があるな。
で、学校教育が昔と今とそんなに変わっていなくて、今でも学校が「人間機械化装置」だとしたら、未来の自分や子どもの目から見て、私は「お前あの時教育現場にいたよな」と言われてどう感じるだろうか。
「いやーあのときはそうするしかなくて」
って言ってもどうしようもないな。
ということと、
会場である石雲院のとても貴重で古い建物や敷地を見て、
「大事って邪魔だし、邪魔って大事だよなあ」と。
宗教としての仏教がどんどん宗教感をなくしていって、必要性を失っていって、という過程は、もしかして公立学校という建物がどんどん教育感をなくしていって、必要性を失っていくことに似ていないか(寺子屋とか?)。
公立学校は、地域の象徴的な機能しか持たなくなったりして。
でもきっとそのときでも「大事だ」って思われているだろうし、同じぐらい「邪魔だ」って思う人もいるだろうなー。
何かを「手放す」というときに、それが無駄で邪魔だから手放す、って場面はあんまりなくて、それが大事で、なくなったら困るからこそ手放す必要がある場面のほうが多いんじゃないか。
そんなことを考えたりしながら歩いていました。
この段でこれを書くのもアレですが、なかなか「アート オブ ホスティング」と聞いてもわかりにくいものです。こういう概念が日本語にないからこそそのまま使っているわけですが、明治期にはそういう状態でも無理やり翻訳したものでした(概念がないのに翻訳したのだからすごい)。
そういう意味では、わかった気になって使っている単語も、もともといっぱいあるのだ(そのうちの一部は、今、ルー大柴的な使い方で復活しているのではないか。)。というわけで、無理やり訳してみますと、「饗応の芸術(技術)」でして、「人を集める器を作るワザ」みたいなことかな、と思います。
衣食足りて礼節を知る、という言葉にもあるように、まずは自分をもてなして、人をもてなせるようになるのだよ、というワザです。ハックです。そんなことを学んできた、と御報告します。
(トッティー)
「ここ最近の自分のテーマは「人間の復活」。どこかで薄くなった、人間としての「やりたい」を復活させる。そして「自分のやりたい」と「誰かの役に立つ」の統合。
さて、長くなってきましたが、私が信じているのはどちらかというと「テクノロジー」より「人間の心」。「テクノロジー」は「人間の心」を変えられるものだと思っています。
どうなるかはわかりませんが、「Art of Hosting 牧之原」は、何かが起こる場所になるだろう、と感じています。」
読み返していませんでしたが、結局こんな感じのことを考えていましたね。
せっかくなんで、ソロウォーク(内省の時間)に考えていたことについて。
自分は小学校ぐらいのときから人と変わっていて、叱られたり注意されたりすることもあり「早く人間になりたい!」と思っていて、大人になってようやく人間になって(楽になった)と思っていたけれども、これは人間ではなくて実は機械だった。
機械のように与えられた仕事をキチキチこなす感じの。
人間が機械になるのは無理があるな。
で、学校教育が昔と今とそんなに変わっていなくて、今でも学校が「人間機械化装置」だとしたら、未来の自分や子どもの目から見て、私は「お前あの時教育現場にいたよな」と言われてどう感じるだろうか。
「いやーあのときはそうするしかなくて」
って言ってもどうしようもないな。
ということと、
会場である石雲院のとても貴重で古い建物や敷地を見て、
「大事って邪魔だし、邪魔って大事だよなあ」と。
宗教としての仏教がどんどん宗教感をなくしていって、必要性を失っていって、という過程は、もしかして公立学校という建物がどんどん教育感をなくしていって、必要性を失っていくことに似ていないか(寺子屋とか?)。
公立学校は、地域の象徴的な機能しか持たなくなったりして。
でもきっとそのときでも「大事だ」って思われているだろうし、同じぐらい「邪魔だ」って思う人もいるだろうなー。
何かを「手放す」というときに、それが無駄で邪魔だから手放す、って場面はあんまりなくて、それが大事で、なくなったら困るからこそ手放す必要がある場面のほうが多いんじゃないか。
そんなことを考えたりしながら歩いていました。
この段でこれを書くのもアレですが、なかなか「アート オブ ホスティング」と聞いてもわかりにくいものです。こういう概念が日本語にないからこそそのまま使っているわけですが、明治期にはそういう状態でも無理やり翻訳したものでした(概念がないのに翻訳したのだからすごい)。
そういう意味では、わかった気になって使っている単語も、もともといっぱいあるのだ(そのうちの一部は、今、ルー大柴的な使い方で復活しているのではないか。)。というわけで、無理やり訳してみますと、「饗応の芸術(技術)」でして、「人を集める器を作るワザ」みたいなことかな、と思います。
衣食足りて礼節を知る、という言葉にもあるように、まずは自分をもてなして、人をもてなせるようになるのだよ、というワザです。ハックです。そんなことを学んできた、と御報告します。
(トッティー)
「Art of Hosting牧之原のあとで」 武田てるみ
こぼれた言葉を この手で掬い取って そっとあなたに 返してあげる きっと それは わたしだけじゃなくて あなた自身が聞きたかった言葉 あふれた思いを しろい模造紙に写し取って そっとみんなで ながめてみる きっと それは あなただけの思いじゃなくて みんなが 心待ちにしていたストーリー 染み出た感謝を この布に染めて そっと 家族をつつんであげる きっと家族が 待っていた あなたに包まれたという肌触り 大事に包んだ風呂敷 広げて 地元のみんなで宴を開こう きっとみんなが待っていた 輪の中にある やってみようの種 爪弾く弦から 紡がれたメロディ それぞれの輪で 歌いあおう きっとそれが 渦になり 大きな流れをつくるはず 今だ 始めよう その時は 来た |